2006年05月

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明治初年に外務卿を務めた副島種臣は、空海をしのぐ書の巨人なのだとか。
空海の書を見たことがないので比較のしようがないのですが、副島さんの書は確かにすごい!

だって、ほら、「雲」が渦を巻いている!

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右から左へ「帰雲飛雨」と読みます。
「芸術新潮」1999年9月号で紹介されているこの作品は、佐賀県立博物館に所蔵されているそうです。
いつか実物を見てみたいな。

趣味

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本日は趣味活動について少々。

*バイオリン*
日曜日だからというわけじゃないけど、「日曜日のヴァィオリン教室」で遊んでました。
これははカラオケCD&模範演奏がついたポピュラーのスタンダードを集めた楽譜集。
どこかで聴いたことのある曲ばかりだし、アレンジが簡単なので簡単に弾ける点もgood!
カラオケにあわせれば、ちょっとしたコンサート気分に浸れます。
家族以外の前では弾きませんけど。

*中国語*
水曜日は中国語。
先生によると、広島で一番レベルの高いクラスだそうですが、仕事のせいでさぼりまくっている上、予習も復習もしないので落ちこぼれ。
数日前用事があって中国のホテルに電話をかけたんだけど、部屋番号を聞き出すだけで一苦労。
これで本当に上級なのか?

*写真*
月1土曜日は写真関係の例会。
父親と同じぐらいの年齢の方々の中にいて、全く違和感を感じない自分はやっぱりちょっと変わってる?
それはまあ良いとして、最近撮った写真ということで、前掲の画像を見てもらったら、
「電線を消して、左上の空に鳥を飛ばすように」
というご指導を頂きました(^^;
デジタル一眼レフの世界は、CGの腕がものを言う?

(その他覚書)
・人物を撮る時はストロボを使わない。
・パレードを撮る時は道路を写さない。
・花を撮る時はバックの色に注意。

*海軍*
大和ミュージアムの常設展示図録を小笠原前呉市長に頂きました。
私の名前と「大和の思い出を永遠に」というメッセージ入り。
お礼状を出さなくてはと思うけど、あまりに達筆な文字を見ていると手が震えます。

*幕末*
晋作漢詩集、慶応2年まで終わりました。
連載小説同様こちらもゴールが見えてきた。

*少女マンガ*
フルーツバスケット20巻:
最初はほのぼのなのに、だんだんドロドロしていく展開に驚かされます。

キャットストリート4巻:
前作を愛読していたのでついね。

感動したお話

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他人の作品の焼き直しですみませんが、近頃読んだ中で一番感動したお話。
オリジナルは辺見じゅん氏の「女たちの大和」に載っています。
(画像は呉の海)

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「目が細くて、鼻が平べったくて、口の大きな人」
母にそう告げられた時から、愛子は逃げ帰ることばかり考えていた。

意外にも、駅まで迎えに来てくれていたその人は、鼻が平べったいわけでもなければ、口が大きいわけでもない、優しい顔立ちの海軍士官だった。

狐につままれた思いで、真っ白い軍服姿を見上げていると、母がふふっと笑った気がした。
それでようやく気が付いた。
結婚に乗り気でなかった娘をその気にさせようと一芝居うったのだ。

まんまと計略にかかった愛子は、それまで会ったこともなければ、写真を見たこともない、小笠原嘉明という名の青年とささやかな仮祝言をあげた。

夢の中にいるように現実味はなかったが、翌朝早々名古屋へ帰るという母を見送る仕度をしていると、なぜか嘉明に引き止められた。

「僕が見送ってくるから待っていなさい」
命令口調で告げられて不承不承頷いた。
その時はわからなかったけど、後になって母の入れ知恵だと気が付いた。
駅まで来れば、そのまま列車に乗ってしまうかも知れない。
だから見送りをさせてはだめだと、嘉明に耳打ちしたのだろう。

そうまでして娘を嫁がせようとする親の気持ちがわからなかった。
嘉明は大和の乗組員で、たとえ船が呉港に碇泊していても、上陸できるとは限らない。
愛子は呉に下宿を借りて、嘉明をじっと待ち続けた。

そのせいで、嘉明は実家に帰る頻度がめっきり減ってしまった。
二人して実家に戻った時も、嘉明は愛子のそばをうろうろして離れない。
ついに姑は、愛子を離縁すると言い出したが、仲が良いからと言って別れさせるのはおかしいと仲人に一笑にふされてしまった。

二人の結構生活は、どこかぎこちなくもあったが、それだけ一生懸命でもあった。
もっと甘えろと嘉明は言うのだが、愛子はどうやって甘えれば良いのかわからない。それでも短い逢瀬を重ねながら、少しずつ妻としての実感がわいてきた頃、一通の手紙が届いた。

「我、国難に殉ずることあるも、いたずらに狼狽することなく平素教えたる所に従い泣くなかれ。と申しても無理、泣きたくば涙の枯れるまで泣け。……我なき後は我に少しばかりの義理立てをいたし、あたら幸福を逃すなかれ。再婚の道あらば再婚するも可。我が家を守りて親に従うも可……」

日付は昭和二十年一月となっていた。
そしてそれが、嘉明からの最後の手紙になった。

大和が沈没する直前、総員退去の命令が下ったが、
「俺は大和と最期をともにする。班長としての責任がある」
嘉明はともに逃げようと誘う部下たちに背を向けて、艦内に消えてしまったという。

(なぜ、逃げてくれなかったのだろう)
悲しみに打ちひしがれたまま、遺品になった夫の海軍手帳をめくっていた。
手帳の片隅には「昭和18年15日間 29」「昭和19年3日間 8」と謎の数字が記されている。
こっちはその年に会えた日数。そして……。
愛子は赤面し、次に両手で顔をおおった。

二人が交わした愛の回数を、何を思って嘉明が書き留めたのかはわからない。
「なんてバカなこと……」
笑ったつもりが涙が出た。
嘉明への愛おしさが後から後からこみ上げてきて、愛子は一人で泣き続けた。

足かけ3年の間に二人が過ごした日数はわずかに65日。
そして50年後の8月4日。
75歳になった愛子は、大和が沈んだ東シナ海の上にいた。

夫が好きだった白桃とともに、ハンカチに自分の髪をくるんで海に流し、
「嘉明、嘉明」
と愛しい夫の名を呼んだ。

二人でいた時間はあまりにも短くて、愛子は夫を他の呼称で呼んだことがない。
けれども永遠に年をとることのない青年士官には、「嘉明」という呼び方こそが、ふさわしい気がした。

116

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明日は雨が降るそうなので、五月晴れの空を貼り付けてみました。
多少なりとも爽やか気分になって頂ければ幸いです(^^)

そうそう、さきほど「風雲の刻116」をアップしました。
ちょっと足踏みしていますけど、気軽に読んでみて下さいね。

小説執筆は、私にとっては幕末史のお勉強でもあるわけですが、今回も色々と考えさせられました。
「禁門の変」の前日の軍議で、久坂さんがひとまず大坂まで退こうと主張したことは知っていましたけど、それより早い7月8日の時点で同様の提案をしていたことは知りませんでした。

かなり早い段階で、彼は自分の策が失敗だったことに、気が付いていたような気がします。
ひょっとすると、長州勢の上洛を聞きつけた松平容保が、天皇を守るために御所の敷地内に居座った時点で、「これはだめだ」と思ったかも。

実際の所、「玉(ぎょく)=天皇」を手中にした方が勝ちなんですよね。
戊辰戦争で、薩長勢が幕府軍の入京を阻んだことも、これ見よがしに錦の御旗をこさえたのも、禁門の変で得た教訓を活かしたものと言えるのでは。

300年で大平の世は終わり、幕末から敗戦までは戦争とプロパガンダの時代。
だから私は戊辰戦争以後の薩長は嫌いです。

工兵橋

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工兵橋。
工兵とは架橋・鉄道敷設・爆破・測量など技術的な任務に従事する兵のことです。
橋の向こう道路があり、そしてその向こうに、陸軍工兵第五連隊が駐屯していました。
(現在は安田学園という学校になっています)

工兵橋と名づけられたのは、この橋が白島にある連隊と牛田にある演習場とを結ぶため、陸軍工兵第五連隊の兵士たちによって架けられたからです。

原爆によって白島地区は工兵隊付近を除き全焼しましたが、この橋は損傷が少なかったため、大勢の被爆者がこの橋を渡って避難して行きました。

朝晩バスから眺めている橋ですが、橋のそばにある案内板を見るまで何も知りませんでした。
河岸の木々は桜です。
春にはお花見スポットとして賑わうこの場所に軍関係の施設があったとは。
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