2006年03月

どっちにしよう?

仕事も楽になったし、風邪も治ったので、高杉晋作特選漢詩集の原稿作りを再開。

当初、50編を選んで掲載するつもりだったのですが、作品が特定の時期に片寄るのを避けるため、年ごとに8編ずつ+慶応3年3編=計59編に計画変更。

目下、元治元年の作品を原稿を扱っている所なのですが、以下の2作品のうち、どちらを選ぶか思案中。
Aは周布政之助が野山獄に乱入した折に詠まれたもので無視しがたいものがあるのですが、父と妹が登場するBの作品も捨て難い。
作品的にはBの方が好きだけど、う~ん……。

<A>
為国破産家亦軽
不辞世上喚狂生
友人猶有不忘義
昨日門頭呼我名

国のために産を破る 家もまた軽し
世上の狂生とよぶを辞さず
友人なお義を忘れざるあり
昨日門頭 我が名を呼ぶ


<B>
夜来小雨朝来霽
屋後屋前鳴雀喧
遥思家翁携竹杖
応呼阿妹歩田園

夜来小雨、朝霽(せい)来たり
屋後、屋前、雀かまびすしく鳴く
遥かに思う 家翁、竹杖を携え
阿妹応呼し田園を歩くを

おみやげ話

okuma.jpg


きりっとした男前の青年は誰でしょう?
ヒント① 国会議事堂の銅像
ヒント② 佐賀出身
ヒント③ 早稲田大学

答えは大隈重信です。
早稲田の彼の邸宅には立派な温室がありました。
もてなし好きの大隈さんは、彼の自慢の温室で食事会やティーパーティなどを開催していたようです。
蘭の珍種やメロンが栽培されていたようですが、毎年11月に観菊会を開催していたということなので、菊の栽培にも力を入れていたと思われます。

明治34年2月3日。
慶應義塾大学の創立者・福沢諭吉が亡くなったその日、大隈家から福沢家に切花が届けられました。

供物は一切受け取らないという福沢家の受付に対して大隈家の使者はこう言いました。
「この花は買って来たものではありません。訃報を聞いた大隈が手塩にかけて育てた温室の花を、涙ながらに自ら切り取ったものです」
福沢家の受付は黙って花を受け取り、福沢さんの霊前に供えたのだとか。

大隈さんと福沢さんの友情を伝える美談ですが、私にはむしろ、「供物は一切受け取らない」という福沢家の姿勢に感動しました。

佐賀城

sakura.jpg


土日で佐賀に行ってきました。
咲き染めの桜がとってもきれいでしたよ。
ちなみにバックは佐賀城の石垣です。

お城が完成したのは1611年。
その後、二度の大火災(1726年・1835年)にあいまして、最初の火災以後、天守閣は再建されなかったようです。

明治7年の佐賀戦争で本丸のかなりの部分が焼失してしまいましたが、お城を焼いたのは、江藤新平率いる佐賀藩の士族たちでした。

佐賀戦争鎮圧後、ここに臨時裁判所が設置されまして、大久保利通が書いた筋書きとおり、江藤さんは士籍を剥奪された上、さらし首に。

お城のお堀を渡ってすぐの場所が処刑場にあてられたようで、現在は処刑された13人の顕彰碑が建っています。

明治7年4月13日。
江藤新平の死刑が先刻されたその日、大久保利通の日記には、「江藤、醜態、笑止なり」の文面が踊っているそうです。

その大久保日記が今年マツノ書店から出版されるそうで、密かに欲しいなと思ってます。

B21

谷梅之助は学校へ来なかった。

「病欠だと申し上げていたはずですが……」
放課後を待って伊藤俊輔につめよると、そんな返事が返ってきた。

「仮病でしょ?」
何を今更と思いつつ、少し笑って告げると、ひどいと叫んで嘆息した。

「谷さんは病気で僕は看病。人を嘘つきみたいに言わないで下さいね」
すねたように唇をとがらせた顔を見ていると、初代内閣総理大臣の生まれかわりとはとても思えない。
雅子は軽い頭痛を覚えつつ、相手が座っている窓枠に手をかけたまま声をひそめた。

「昨日会った時は元気だったわよ。少なくとも看護が必要な風には見えなかったけど」
事実をつきつけたにも関わらず、俊輔は少しも動じない。それどころか、にわかに逆襲に転じてきた。

「人を見かけで判断するのはいけないなあ。それより僕はあなたに言いたいことがあったんです。昨日、ティーカップを割りましたね。谷さんは自分がやったと言ったけど、あの人は自分で割ったカップを自分で片付けるような人じゃない。つまりはあなたをかばったんだ」

勝ち誇ったような態度に眉をひそめた雅子だが、値段を聞いて愕然となった。
イギリスから直輸入したというウェッジウッドのカップは女子高生が容易に弁償できるような品物ではなかった。

「心配しなくても弁償しろなんて言いませんよ」
雅子の心を一瞬で読んだのか、俊輔はきっぱりと告げた後、一転してすがるようなまなざしを向けてきた。
「カップなんてどうでもいいんです。僕が本当に言いたい事はそんなことじゃなく、もう手遅れかも知れないけど、僕は……あなたに……谷さんを……」

「谷じゃなくて高杉でしょ」
相手が言葉をとぎらせてしまったので、頭の中で回り続けていた名前を思い切って口にしてみた。

笑い飛ばすか、しらを切るか、それとも驚くか、そんな予測を大きく裏切って、俊輔はまだ教室に残って入るクラスメイトの名前を大声で次々と呼び始めた。

そうやって皆の注目を自分にひきつけてから、マジシャンよろしくパチリと指を鳴らすと、その場にいる全員が糸の切れた操り人形のように、その場にバタバタと崩れ落ちた。

「催眠術ですよ。内緒話の間だけ眠っていてもらおうと思いまして」
「本当に眠っているだけなの?」
「もちろん」
うやうやしく椅子を引かれても、素直に腰掛ける気にはとてもなれない。
ドアに向かってじりじりと移動する雅子に気が付いた俊輔は、苦笑まじりにコホンとひとつ咳払いをした。

B20

明日から一泊二日で佐賀旅行。
お土産話をお楽しみに♪


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「顕彰碑の話が出るまでわからなかった。なぞなぞを解いた気分だよ」
晴々とした顔で手に取ったのは山口県の史蹟に関する分厚い本。
示されたページにはうっそうと茂った木々を背景に大きな碑が写っている写真が載っていた。

高杉晋作顕彰碑。
碑文は初代内閣総理大臣・伊藤博文。
伊藤はこの碑文を認めた1ヶ月後の明治42年10月にハルピン駅で韓国の民族運動家に狙撃されて死亡。
そのため明治44年5月20日に開催された東行顕彰碑の除幕式には……。

はっとして父の顔を見ると、ふふんと得意げに笑ってうなずいた。
「伊藤博文が農民の子だったなんて話はあまり知られていないのに、ずいぶんと歴史に詳しい子だね」
「その子ね、伊藤俊輔っていうの」

ホホウと感嘆の声を漏らした父は、同じ本のページをパラパラとめくって、山口県光市にある伊藤公資料館のページを開いた。
伊藤博文の簡単なプロフィールとともに、いくつかの変名が載っている。
雅子の目はその中の一つに釘付けになった。

「伊藤俊輔(いとうしゅんすけ)!」
漢字も読み方もぴったり同じ。
冗談にしては手が込みすぎている。

「念のために聞いてみるけど、た……谷梅之助って……」
「念のためも何も高杉晋作の変名じゃないか。高杉は幕末の英雄だ。小泉首相がインタビューで話題にしていたのを聞いたことがあるだろう?」
さらりと告げられて、ひっくり返るほど驚いた。

「うそでしょ!」
「嘘をついてどうする? そういう俗っぽいリアクションはやめなさい」
眉をひそめた父にあたふたと謝った雅子は、分厚い本を抱えたまま、二階への階段を駆け上がった。

「雅子、静かに上がりなさい!」
母にも叱らてしまったけど、もちろん耳には入らない。
いそいでパソコンを立ち上げ、高杉晋作で検索すると、高杉晋作を紹介するサイトにヒットした。
緊張で震える指先で年表をクリックし、ずらりと並んだ文字を目で追っていく。

「万延元年(1860年)1月23日。井上兵右衛門の次女・雅子をめとる」
衝撃で椅子から飛び上がった。

「雅子、雅子って、井上雅子って……私のこと?」
疑問を口にした所で答えてくれる人はいない。

(明日は学校に来るかしら)
来なければこちらから乗り込んでいくしかない。

(その前に調べられるだけ調べておこう)
マンションから逃げ出してしまったことをちょっぴり後悔しながら、もう一度椅子に座りなおした雅子は、パソコンのスクリーンを凝視し始めた。
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