2005年10月

感謝!

超長い小説を、見捨てることなく読み続けて下さっている読者様に心からお礼申し上げます。
更新頻度も低いのに、更新した小説のアクセス数がすぐにアップするのは、定期的にチェックして下さる方がいらっしゃるからなんだろうな。

恐れ多くて足を向けて寝られない。
でも、どなたが読んで下さっているのかわからない(>_<)
小説完結のあかつきには、短いコメントを送れるフォームを設置して、コメントを下さった方先着10名様ぐらいに、何かお礼をさせて頂こうかと思ったりしています。
(例によって気まぐれの思いつきですが)

小説って本当に不思議。
書いているうちに登場人物が勝手に動くようになってきて、思いも寄らないセリフを口にしたりするのですが、こういう時に出てくるセリフは、悩みに悩んで考えたものより、はるかに良かったりします。

例えば、風雲107の入江さんのセリフ。
「死とともに我が煩悩は消え去り、全ては無に帰す。それで良い」
こんなことを常々考えているわけではないのですが、彼はなぜスラスラと口にするのでしょう?

話は変わりますが、掲示板のことでは、複数の方々にご心配&励ましのメールを頂きまして、感謝の思いで一杯です。
パスワード式の掲示板でも設置してみようかな?

春の雪

「春の雪」を観に行ってきました。
この作品に関しては、小説を読んでから観に行くのがおすすめです。

個人的には小説の世界が見事にビジュアル化させていて大感動!
とは言え三島由紀夫の作品世界を重んじるばかりに、いささか観念的な仕上がりでして、よく言えば深みのある、悪く言えばわかりにくいものとなっています。

公爵家の子息・松枝清顕は目もくらぶかりの美少年。
おまけに繊細なナルシスト(祖父は薩摩士族)。
屈折した恋愛感情は、絶望的な状況の中でことさら燃え上がり、自らの命をも焼き尽くす。

ヒロイン・聡子の豪華な衣装も必見です。
「タイタニックを彷彿とさせるなあ」なんて思っていたら、タイタニックの沈没は1909年、大正時代は1912~1926年。結構、近いんですよね。

松枝家の見事な日本庭園は、高松市の栗林公園で撮影したもののようです。
先日の出張で、すぐ近くまで行ったんだけどな。
知っていれば、公園まで足を伸ばしたのに……。

風雲107

風雲の刻107をアップしました!
本館の自作小説からどうぞ。

最終章ということで、気をひきしめていきたいと思います。
久々に登場した久坂さん。
ようやく主役を登場させることができて、ほっとしています(^^)
個人的には久坂さんとセットで登場した入江さんがお気に入り。

ゴールだけは決まっているのですが、その間の展開は出たとこ勝負。
登場人物もその時々の気分です。

掲示板閉鎖中につき、メールでご感想などお聞かせ頂けると嬉しいです。
最終章ということで、お気に入りの人物など教えて頂ければ、登場頻度を高めるべく努力したいと思います。

優先順位

とある方の提言もありまして、掲示板を閉鎖しました。

さてさて、ようやくやってきたウィークエンド。
「風雲の刻」の続きを書くか、「王都、はるかなり」の続きを書くか、はたまた「晋作漢詩集プロジェクト」に終始するか、優先順位に悩む所。
もっと時間があるといいのにな。

晋作を語る

せっかく作ったので土曜日の手持ち資料を少しだけアップ。

(高杉晋作プロフィール)

天保10年(1839)8月20日に毛利36万9千石の城下町・萩の菊屋横丁に二百石取りの大組士・高杉小忠太の嫡男として生まれた。
他に三人の妹がいるが、高杉家の男児は晋作のみである。
小納戸役として毛利敬親に仕えていた小忠太は謹厳実直な人柄で、奥番頭、直目付と昇進し、明治になってからは山口県の権大判事を務めたりしている。
高杉家は、毛利元就が芸州吉田の城主だった頃からの家臣である。
以前は武田氏を称し、甲斐国の清和源氏・武田家の子孫だったとされている。
高杉晋作の少年時代と言えば、わかっているのは8歳の頃に吉松淳蔵の家塾に入門したことと、10歳の時に疱瘡を患ったことぐらいで、現代に伝わる様々な逸話はほとんどが後世に作られたものだと思われる。
12、3歳頃から武道にのめりこみ、弓、槍、刀の修行を開始。
明倫館に入ってからも、学問そっちのけで武道に熱中していたが、松下村塾に入門したことが大きな転機となって、学問に目覚め、志士としての道を歩き始める。

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(ちょっとおもしろい晋作の書簡)

①松陰宛・安政5年4月10日以前
朋友の信を見るには、死、急、難の三事をもって知れ申し候。
私朋友別に二三人もこれあり候えども、未だ悔みに来たり候者、これなく候。
先生の書状きたり大歎き々々々の至りににござ候 

晋作の祖父が亡くなった時、友人は誰一人お悔やみに来てくれなかった。
落ち込んでいた所に届いたのが松陰先生のお悔やみ状(松陰先生は謹慎中で出歩けない)。
ひそかにおじいちゃんっ子だった晋作は松陰先生の優しさに大感激。


②松陰宛・安政5年10月5日頃
乱筆乱文 御推読願いたてまつり候。
先生、今もって我に書教を送らんは如何々々々々々々々々

如何の連続……よほど先生の手紙が欲しかったらしい(^^;


③友人宛・安政6年3月25日
僕、一つの愚父を持ちおり、それゆえ日夜僕を呼びつけ、俗論を申し聞かせ候。僕も俗論とはあい考え候得ども、父の事ゆえいかんとも致し方なくござ候。恥じつ憂いつ、これまで諸君と御まじわり申し上げ候、なおまた、先だって死候大父なども毎事僕を呼び寄せ、何卒大なることを致してくれるな、父様の役にも関わるからと申し付け候……さりながら、これに背き候得ば、不孝となり候故、そむく心にはなりかね候。

大父とは祖父のこと。まさしく孝行息子!


④久坂玄瑞宛・安政6年3月25日
貴兄在江戸の節と言えども、格別追従(ついしょう)も申さず、御ほめあげもあまり申し上げずそうらえども、心中には僕はとても及ばぬ、頼のむべき人と思ひ、兄弟の盟をも致したくと、所詮思いおりそうらえども、これまで終に口外仕らずおり候。
僕も一人の兄弟もござなく、常に心細く思ひおり候ぐらいに御座候。
それゆえこの説も読書などに倦み候節、天下の事を安じ、或は御国の事は如何なっかと思い候節、貴兄の顔を目前に看ゆる様に御座候、何卒愚鈍の心胆御推察願い奉り候。

口には出さなかったけど、僕は君と義兄弟の契りを結びたいと思っているのです。
読書に飽きた時、長州のことを思う時、君の顔が目に浮かびます。
僕の愚かな思いをどうかわかって下さい……って、ほとんどラブレター!
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