2005年09月

秋の花

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明日から10月ですね、
事務所でパソコンに向かっていると、季節を感じることはあまりありませんが、朝夕のひんやりとした空気と、何気なく見上げた空の色に、秋を感じる今日この頃です。

秋の花と言えば、コスモス、キキョウ、そして彼岸花。
今、「天誅組の主将中山忠光」という超ボロボロの本を飛ばし読みしているのですが、中山忠光のことを思う時、私の頭の中はいつも真っ赤な彼岸花で埋め尽くされてしまいます。

中山忠光は明治天皇の叔父にあたる人物です。
三条実美ら勤皇派公卿の中でも最も過激な人でして、文久三年5月の馬関攘夷戦にも参加しているし、天誅組の主将に祭り上げられて五条代官所の善良な役人たちを血祭りにあげたりもしています。

「八一八の政変」で朝廷が公武合体派に牛耳られたため、代官所を襲った天誅組は賊となり、幕府方の大軍に討伐されてしまうわけですが、忠光は辛うじて生き残り、大阪の長州藩邸にいったん保護された後、長州へ落ち延びて行きます。

当初は忠光を手厚くもてなした長州藩が彼をもてあまし始めたのは、「禁門の変」で長州藩が敗れ、正義派に変わって俗論派が台頭してきた頃のこと。
忠光の身柄を預かっていたのは長府藩ですが、最終的には暗い山奥におびき出し、暗殺してしまいます。

筑前から舞い戻ってきた高杉晋作の決起により、その後まもなく長州藩は再び正義派のものとなるわけで、忠光がもしもそれまで生き延びていれば、三条実美、岩倉具視とともに、権力の座についたことは間違いありません。

幕府の隠密の目をかわすため、忠光の居所は下関からスタートして奥地へ奥地へと移動させられていきました。
最後に忠光が住んでいた場所は田耕という場所でして、何年か前に一度だけ行ったことがあるのですが、山と田んぼの他には何もない、とても寂しい場所でした。

忠光が潜伏した大田新右衛門の家は今も同地に残っています。
その家の前から見える風景も、やっぱり山と田んぼだけ。
緑で塗りつぶされた視界の中で、血のように赤い彼岸花の花があまりにも鮮烈だったので、中山忠光と彼岸花が私の中で結びついてしまったようです。

「思いきや 野辺のかかしの梓弓、引きも放たで朽ち果てるとは」
殿上の貴公子とも思えない侘しい辞世を残し、中山忠光は数えで二十歳の若さで世を去ってしまいました。

今も彼岸花は咲いているのかな。
田耕に久しぶりに行ってみたいかも。

お祓い?

先週の木曜日に会社のパソコンが立ち上がらなくなりまして、作成した文書等はバックアップがあったので救われたのですが、メール&画像etcを全て消してしまった上、再セットアップetc…に半日もかかってしまった(^^;

やれやれと思って帰宅するとこんどは自宅のパソコンが絶不調。
またもや再セットアップの憂き目に。

それにしても、私のパソコンだけ定期的に故障するのはなぜなのでしょう?
(他のスタッフも同じ機種を使っているのですが)
社長は、「呪われているんじゃないですか、お祓いしてもらいなさい」なんて言ってたけど…。
ま、まさかね。

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10月22日(土)に京都で「維新夢くらぶ」のイベントがあります!!
題して「石清水八幡宮参詣と座談会」

集合は京阪電鉄「八幡市」駅改札口10時50分。
石清水八幡宮参詣&山上で見晴らしの良い場所でランチした後、八幡市文化センターで座談会。
そして夕方からは京都か大阪で親睦会。

久々に参加させて頂こうと思っていた所、座談会で独演して欲しいとのオファーが!
今日の今日でお返事はまだなのですが、「箱館戦争」の時はバタバタしていてだめだったので、今回は前向きに検討中。
座談会のテーマは高杉晋作ということなので、晋作の漢詩のお話でもさせて頂こうかしらん?
重い資料を持って山登りなんて絶対無理なので、レジュメは一枚ものでいいかなあ。

誰でも参加できますので、このブログをご覧の方もお気軽にお申し込み下さいませ。
老若男女を問わず大歓迎。
10月18日までに私の所にメールを送って頂ければ、ご担当の方に転送させて頂きます♪

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先日、古川薫氏の「暗殺の森」を読み返しまして、中山忠光ブームが再燃!
忠光様の小説を書いてみたいと思う今日この頃です(もちろん短編)。

昨日見たもの

昨日、駅前の百貨店でお買い物をした後、中華を食べようということになりまして、駅のそばのホテル(グランヴィア広島)へ行ったのですが、ロビーに一歩足を踏み入れてびっくり。
縞々のユニフォームを着た人とか、トラ耳を付けた女の子とか、明らかに阪神ファンと思われる方たちがロビーを埋め尽くしているではありませんか。

「ああそうか、阪神の選手、今日はここに泊まるんだ」
ぽんと手を打った時、スーっと一台のタクシーが。
乗っていたのは下柳選手と赤星選手(もう一人いたけど未確認)。

どっと駆け寄ったファンたちがタクシーを取り巻いて、一斉に携帯を向ける様はすごかったです。
選手たちもこれはまずいと思ったようで、やおらタクシーから飛び出して、入口とは全く別の方向へ疾走。そのまま別のタクシーに乗り換えて、いずこかへ消えてしまいました。

風雲106あとがき

前回に続いて風雲106の「あとがき」をば。
まずはこの場を借りて「志耀館」の沙羅さまに心よりお礼申し上げます。

こういうお話が書けたのは、沙羅さまが「霊山歴史館紀要・第16号」に「池田屋事変における吉田稔麿について」という論文が載っていることを教えて下さったおかげです。
この論文を読んで稔麿が池田屋に旅装を届けさせていたことを知り、これまで取り上げられることのなかった史実を作品に盛り込むことができました。

その夜のうちに京都を離れるはずの稔麿が、池田屋の変に巻き込まれてしまう。
重傷を負いながらも藩邸まで逃げ戻り、「ああ、助かった」と思ったら門が閉まっていて入れない。
そして後方からは大勢の会津兵が……。
こういう絶望的な状況の中で、喉を掻き切って自刃するというのは何ともやりきれない。
やりきれないからこそ創作部分に力が入ってくるわけで、これが私流の時代小説だったりします。

延々と書き続けている「風雲の刻」ですが、まともに登場人物の死を描いたのは今回が初めてです。
もちろんこれまでにも吉田松陰、中谷正亮、吉田虎太郎などの死が出てきますけど、伝聞形式でさらりと流してきました。

次々と人が死んでいく小説は読んでいて息苦しい(そして楽しくない)。
ということで、そういう場面を登場させるのは後半だけにしようと決めていました。
ラストのラストに登場する義助の自刃シーンは燃え盛る炎の中ですから、池田屋の変は全体的にウェットです。

この小説を読んで吉田稔麿に興味をもって下さる方が増えると嬉しいな。

風雲106

風雲106をアップしました。
誤字脱字のチェックもろくにしていませんが、明日は帰宅が遅いのでとりあえずアップ。
実に1ヶ月ぶりの更新です(汗)。

ついに池田屋の変が終わってしまった。
だいたい予定通りの展開です。

最後に桂さんが登場することは、かなり前から決めていました。
薩長同盟の際に西郷どんに延々と恨み言を言い続けたという桂さん。
それを見ていた品川さんあたりはヒヤヒヤだったそうですが、何度も修羅場をくぐり抜け、その過程で多くの同志を失ってきた桂さんの苦悩を思う時、それはいかにも人間らしい、当然の反応ではないかと思ったりもします。

もしまだお読みでない方がいらっしゃったら、こういうSSも書いてますので是非ご一読を。
以前配信していたメルマガの最終号に載せたものです。

他にも書き込みたいことは多々ありますが、それはまた次回にでも。
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