
明日から10月ですね、
事務所でパソコンに向かっていると、季節を感じることはあまりありませんが、朝夕のひんやりとした空気と、何気なく見上げた空の色に、秋を感じる今日この頃です。
秋の花と言えば、コスモス、キキョウ、そして彼岸花。
今、「天誅組の主将中山忠光」という超ボロボロの本を飛ばし読みしているのですが、中山忠光のことを思う時、私の頭の中はいつも真っ赤な彼岸花で埋め尽くされてしまいます。
中山忠光は明治天皇の叔父にあたる人物です。
三条実美ら勤皇派公卿の中でも最も過激な人でして、文久三年5月の馬関攘夷戦にも参加しているし、天誅組の主将に祭り上げられて五条代官所の善良な役人たちを血祭りにあげたりもしています。
「八一八の政変」で朝廷が公武合体派に牛耳られたため、代官所を襲った天誅組は賊となり、幕府方の大軍に討伐されてしまうわけですが、忠光は辛うじて生き残り、大阪の長州藩邸にいったん保護された後、長州へ落ち延びて行きます。
当初は忠光を手厚くもてなした長州藩が彼をもてあまし始めたのは、「禁門の変」で長州藩が敗れ、正義派に変わって俗論派が台頭してきた頃のこと。
忠光の身柄を預かっていたのは長府藩ですが、最終的には暗い山奥におびき出し、暗殺してしまいます。
筑前から舞い戻ってきた高杉晋作の決起により、その後まもなく長州藩は再び正義派のものとなるわけで、忠光がもしもそれまで生き延びていれば、三条実美、岩倉具視とともに、権力の座についたことは間違いありません。
幕府の隠密の目をかわすため、忠光の居所は下関からスタートして奥地へ奥地へと移動させられていきました。
最後に忠光が住んでいた場所は田耕という場所でして、何年か前に一度だけ行ったことがあるのですが、山と田んぼの他には何もない、とても寂しい場所でした。
忠光が潜伏した大田新右衛門の家は今も同地に残っています。
その家の前から見える風景も、やっぱり山と田んぼだけ。
緑で塗りつぶされた視界の中で、血のように赤い彼岸花の花があまりにも鮮烈だったので、中山忠光と彼岸花が私の中で結びついてしまったようです。
「思いきや 野辺のかかしの梓弓、引きも放たで朽ち果てるとは」
殿上の貴公子とも思えない侘しい辞世を残し、中山忠光は数えで二十歳の若さで世を去ってしまいました。
今も彼岸花は咲いているのかな。
田耕に久しぶりに行ってみたいかも。