2005年02月

妙なこだわり

メルマガを廃刊することにしました。
読者数は先ほど配信した最終号が一番多くて385名でした。
創刊号の読者数が80名ぐらいだったことを思えば、夢のような数字です。

「読み物」であることにこだわり、大して情報価値のないもの敢えてを配信し続けたわけですが、それでも支持して下さった読者の方々に心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

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それでは昨日に続いて「風雲の刻93」のこぼれ話を少しだけ。

「大きく湾曲した か細い月が ゆっくりと沈んでいくのと入れ替わりに、紫色にけぶる空には星が瞬き始めた」

こんな文章が冒頭に出てきますが、何の変哲もない、もっと言えば、さらりと読み飛ばしてしまうこの一文を書くのが結構大変だったりします。
月には全く詳しくないので、元治元年6月1日の月がどのような月で、何時頃にのぼって何時頃に沈むのかがさっぱりわからない。
もっと言えば、鴨川の西を北上していく稔麿のどっちに見えるのかもわからない。
そういうことが妙に気になって、いちいちこちらで調べてみるわけです。

すると、この日の月は夕方には沈んでしまうこと、しかも稔麿の背後に沈んでいくことなどがわかります。
ついでに伊庭さんの「征西日記」をちらりと見て、この日の関西地方のお天気が「晴れ」であることを確認。
そしておもむろに書き始める。

こんな妙なことにこだわったりするものだから、一話書き終える頃にはぐったりです。
小説執筆者が本来こだわるべき文章表現などは後回し。
これってやっぱり問題かも。

そうそう、「稔麿の定宿=二条寺町東入ルの塩屋」なのですが、京都の地理もよくわからないので、場所を把握するのにも苦労します。
二条寺町東入ルは、長州藩の京都藩邸のすぐ近くでして、現在はお寿司屋さんが建っているようです。

風雲の刻93

小説の続きを書くのに忙しくて、昨日&一昨日はブログをさぼってしまいました。
池田屋の変に向かってジワジワと進んでおります。
もっとサクサク進行させるべきかも知れないけど、「稔麿ファンが泣ける池田屋の変」を書くつもりなので、稔麿を中心にスローペースで進んでいます。

今日は吉田稔麿関連のおまけ話をば。

●房(フサ)さん
稔麿の実の妹です。
婿をとって吉田家を継ぎますが、子供ができなかったので養子をもらいました。
その養子も亡くなってしまったので、さらに別の養子をもらいまして、とにもかくにも吉田家を存続させています。
※稔麿自身も「自分はお国に捧げた身なので家を継ぐことはできないから、妹に家を継がせて欲しい」と言っていたそうです。

●笛
稔麿は大変優秀でした。
渡辺蒿蔵という人は「高杉は恐ろしかった。栄太郎は賢かった。久坂にはついうて行きたいようだった」と語っています。
子供の頃、同じ私塾で学んだ幼馴染の伊藤博文も、「自分は誰にも遅れをとらなかったが、ただ一人吉田稔麿には勝てなかった。彼は実に天凛の英才だった」と語っています。
※伊藤博文が稔麿に勝っていたのは笛を吹くことだけでした。

●お金のこと
江戸探索の費用として稔麿は30両のお金を藩から受け取っていました。
晋作と違って公金の使い込みなどはしなかったようで、池田屋の変の後、彼の定宿の主人・塩屋兵助が30両をそっくりそのまま親元へ送り届けています。
稔麿の父・清内はそのお金を藩政府に返却しましたが、藩は稔麿の「清廉謹厚の節操」をたたえ、祭事料としてあらためて下賜しています。
※大阪に出張してきた父親に会いに行くお金もなかったようで、せっせと田舎に仕送りしていたのかも。

●報告書
「東風不競密話」という報告書の草稿が残っています。
おもしろい内容なので意訳したいと思いつつ、手がつけられないでいます。
ちなみに、小説の中に登場する「御国は猛虎の深山によるの~」は「東風不競密話」からの抜粋です。

なぜ雪が

bus.jpg


昨日まで良いお天気だったのに、中国山地は激しく積雪。
直径4cmぐらいの巨大なボタン雪が降っていました。
ちなみに画像は吉和村SAで撮ったもの。
真ん中あたりに写っているバスの最前列にさっきまで座ってました。

前回は吹雪のためにバスが全便ストップ。
そして今日はこんなだったから、
「いらっしゃる時はいつも天気が大荒れですね」
と言われてしまいました。(^^;)

三回シリーズのお仕事はこれにておしまい。
小売店の指導に行っていたのですが、五寸釘でお店を繁盛させるような秘技は持っていないので、普通にお仕事してきました。

出張のお供

明日は柿木村に出張です。
今回の出張のお供は古川薫さんの「桂小五郎(下巻)」。
今、四境戦争のあたりを読んでいるのですが、これがまた何度読んでもおもしろい。

迫り来る幕府の大軍。

山口の政治堂にいるのは、巧みな対外工作で戦争を有利に導く木戸孝允。
芸州口で敵を迎え撃つのは、顔面の刀傷も生々しい不死身の男・井上馨。
石州口を進むのは、浴衣の帯に団扇を挟み、梯子に登って采配をふるう軍神・大村益次郎。
そして、忘れちゃいけないのは、鮮やかな奇襲攻撃で大島口を奪還し、小倉口では最後の力をふりしぼって長州軍を最終的に勝利に導いた高杉晋作。

絵になる男たちが、それぞれのやり方で死闘を繰り広げる様は、これだけで小説が書けそうなほどドラマチック。
いつの日か関係史料を集めてきっちり調査したい。

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メルマガ原稿はできたのですが、冒頭のご挨拶と、あとがきがまだなので、配信は週末以降になりそうです。

今回の作品はこれまでメルマガに載せた作品の中では最高傑作だと自負しています。
そうなのです。
こういうラストが書きたかったのです。
ここに到るまで2年4ヶ月もかかってしまいました。

風水先生

昨日の「スーパーテレビ」を見ました?
・レジの位置を変えるだけで業績が好転。
・五寸釘を店の一角に打っただけで閑古鳥の鳴いていた居酒屋が繁盛。

風水であんなことができるなら経営コンサルタントなんていらないなあ。
なんて思うのですが、弊社の社長(経営コンサルタント)の趣味&副業は風水の先生だったります(^^;)

私は本業の方のスタッフなのでよくわからないのですが、弟子がいたり、お金をとって風水のノウハウを伝授したり、風水ツアーの講師をしたり、家相を見てアドバイスしたり……というのは、やっぱりプロなのでしょうね。
ちなみに、「スーパーテレビ」に出ていた黒門先生(やっぱり先生とお呼びするべき?)は、社長の師匠なのだそうです。
「絶対にテレビを見るように」と言われていたので、もちろん見ましたが、何とも不思議な世界でした。

社長の趣味&昨年は風水専門店の開業指導をしたせいもあって、社内には色々な風水グッズが転がって、いえ、置いてあります。

風水グッズ、いえ、風水アイテムには、「良い気を集め、邪気を防ぐ」役割があるそうですが、病気で二ヶ月ほど休んでいて、久々に会社へ行ったら、私の机の上に巨大な金の蛙が置いてあったのはびっくりしました。

蛙はさすがに移動させましたが、私のそばの小さな台の上には、直径20cmほどの古銭の置物が置いてあります(以前はなかったのに)。
そしてその古銭が、明らかに私の方に向けられているのです。
社長がこっそり置いたのだと思いますが、その意図は不明。
やっぱ邪気祓い?




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