
高杉晋作&伊藤利助(後の伊藤博文)ゆかりの円政寺。
ちなみに桂さんの家もすぐ近くです。
ご住職のお話によれば、もともとは大内氏の祈願寺だったそうです。
大内氏が滅びた後、毛利氏が山口市円政町にあったこのお寺を萩に移築したのだとか。
ちなみに幕末当時の名は法光院といいます。
伊藤博文は幼名を林利助と言いまして、9歳まで現在の山口県光市束荷で育ちました。
真偽のほどは不明ですが、萩の伊藤博文別邸でお伺いした所によりますと、利助の父親の十蔵はもともと庄屋でしたが、困っている人や貧しい人から無理やり年貢を取り立てることをしなかったために、ついには自らが没落し(!?)、逃げるようにして萩へ出稼ぎに出たのだとか。
(庄屋話は少し、いえ、かなり嘘っぽいけど、出稼ぎ話は本当です。この時、利助6歳)
利助が母親とともに萩へ移ったのは、父が出稼ぎに出てから3年後。
十蔵が足軽・伊藤家の養子となったために利助も伊藤姓になるわけですが、その少し前、たしか11歳の時、利助は1年半にわたって円政寺に預けられています。
当時の円政寺の住職は恵運という人でしたが、利助の母親とは従兄妹関係にありました。
利助は円政寺で雑用のかたわら、読書や手習いを手ほどきを受けたといいます。
そんなわけで円政寺には、利助が使っていたという背負い子(薪などをくくりつけて背負う道具)や硯が、今も残っています。
ところで、このお寺は、「晋作と利助」が仲良く遊んだ場所だそうですが、本当かなあ?
林利助11歳。高杉晋作13歳。桂小五郎19歳。
円政寺を舞台に繰り広げられる日常は、こんなものではなかったのかと…。
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「利助と小豆餅(あずきもち)」
江戸屋横丁に面した法光院には、色々な人がやってくる。
「ご苦労だね」
庭掃除をしていると必ず声をかけてくれるのは、同じ通りに面した和田の屋敷に住む桂さん。
藩医である和田家の長男でありながら、90石の桂家を継いだ桂さんは、有備館での剣術稽古の帰りに必ず寺に立ち寄って、金毘羅社の前でぺこりと頭を下げていく。
「かっこいいなあ」
寺の門から半身を乗り出して、上背のある後姿をうっとりと眺めていると、反対の方角から「小豆餅」がやって来た。
(来たぞ。今日こそ)
僕はあわてて境内の中ほどに戻り、竹箒(たけぼうき)を握りなおして体勢を整えた。
「こ…こんにちは…」
今、初めて気が付いたような顔をして挨拶をしたけど、小豆餅は例によって無反応。
あばたの散った顔をこちらに向けることもなく、下僕を引き連れてスタスタと境内に入り、ご住職と二言三言言葉を交わした後、くるりと回れ右して、再びこちらへ近づいてきた。
「あの…さようなら…」
恐る恐る声をかけてみたけど、やっぱり無反応。
一体、何てやつなんだ。
僕はまたまた、むかっ腹を立てた。
身分が違うのはわかっているけど、同じ子供なんだから挨拶ぐらいしてくれたっていいじゃないか。
そう思うものだから、ムキになって小豆餅が来る度に声をかけるけど、何度やっても同じこと。
どうやらあいつの前でだけ、僕は透明人間になってしまうようだ。
なおも未練がましく様子を窺っていると、小豆餅は金毘羅社の前でぴたりと足を止めた。
桂さんのように頭を下げるわけでもなく、何か願い事をする風でもなく、挑むような目でじっと天狗面を睨みつけ、睨むだけ睨んだ後、満足したように帰って行った。
「高杉の坊ちゃんが気になるようじゃな」
図星をさされ、思わず箒を取り落としてしまった。
「金毘羅社の天狗面を見ていたので、どうしてかなと思って…」
しどろもどろで小豆餅の奇妙な行動を説明すると、ご住職はからからと笑い出した。
「こんにちは」
きっとその日の僕は、笑みを浮かべていたに違いない。
すると、どうだろう。
僕と一瞥だにしなかった小豆餅が、ついに足を止めた。
一瞬、足を止め、ちらりと僕の顔を見て、そのまま何事もなかったように行ってしまったけど、たったそれだけのことで、僕の胸は一杯になった。
(ついに小豆餅が僕を見た!)
小豆餅が去った後、僕は箒を頭の上でぶんぶん回しながら、そこら中を走り回った。
それから挨拶を返してくれるようになるまでに半年かかった。
普通に会話ができるようになったのは、小豆餅、いや、高杉さんが、松下村塾に入門してからだった。
「あの時のヘラヘラ顔は一体何のつもりだったんだ?」
ヘラヘラ顔は失礼だけど、高杉さんはあの日のことをちゃんと覚えていた。
僕はあの時と同じ笑顔を作ってみせただけで、何も答えなかった。
もしも正直に答えていたら、きっとボコボコにされたに違いない。
ご住職はこっそりと僕に教えてくれたんだ。
幼い頃のあなたが、ひどく弱虫だったことを。
金毘羅社に掛けられた天狗面を見る度に大泣きして、お母上に叱られていたということを。
泣きながらも、毎日のように天狗面を見に来ていたということを。
「武士は色々と大変なんじゃよ」
ご住職に言われて、僕はあの日初めて、小豆餅が武士であることを意識した。
すると、なぜだろう、いやな奴だと思う気持ちが薄れて、少しだけ小豆餅のことが好きになった。
え、今はどうかって?
それは…秘密だよ。
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晋作はとっても怖がりで、円政寺の天狗面を見ては泣いていたという、ご住職のお話より。
ちなみに、少年時代の晋作のあだ名は「小豆餅」だったそうです。


